
大丸
DAIMARU
- 企業
- 大丸松坂屋(Jフロントリテイリング)
- 本店
- 心斎橋店、大阪市、大阪府
- 店舗数
- 11
- 百貨店の開店
- 1908年(東京店改装(陳列販売の開始)、創業は1717年)
- デザイナー
- 三澤遥、2025年
大丸松坂屋で統一されたイメージ。 ピーコックグリーンを活かし、 ブランドイメージの新機軸を探る。
紙袋
2025年に大丸は同グループの松坂屋とともに紙袋のリニューアルを行った。
「百様図」と名付けられたオリジナルのパターンを展開し、大丸と松坂屋の2つののれんを統一したイメージでブランディングしている。
グリッド状に丸と四角の穴が開いた厚紙を重ねて作られたパターンは、位置をずらすことで無限のパターンを描くことができる。パターンが変化しても印象は変わらない、これが百様図の名前の由来となっている。ピーコックグリーンとイエローの配色は旧デザインの紙袋を彷彿とさせるような配色で、ダイナミックなパターンに安定性を加えている。
リニューアルに際して紙袋のつくりも変わった。一般用紙袋は三越伊勢丹のようにOFを標準とし、アクリル紐を用いる豪華なものとなっている。ロゴも紙袋の内側に印刷するなど伊勢丹とほぼ同じつくりである。




一方で、紙袋の使用用途も同時に見直されている。百様図の紙袋とは別に一般用紙袋として、新たな統一デザインも制作された。
MFに大丸と松坂屋の筆記体をそれぞれの面に記載したデザインで、百様図と比較すると相当シンプル。コスト面での差別化が図られている。
百様図のコストが高いことから、菓子などの低単価の売り場での使用や百様図以外のサイズ展開を想定したものであることがわかる。



大丸は欧文ロゴタイプも秀麗である。これは1983年にグラフィックデザイナー井上淳が手がけたもので、孔雀のシンボルマーク、和文ロゴタイプも同氏の制作。 キャップハイトを抑え、字幅を広くとった特徴的な欧字は独特の上品さを放ち、ブランドイメージを的確に伝えている。 これは米国で活動した同氏だからこそ表現できた良い意味で日本的ではないロゴタイプだ。
旧紙袋がデザインされたのは1990年。包装紙も同時期に現行のデザインにリニューアルされている。デザインはシンボルやロゴタイプと同じ井上淳。 イメージの体現と、高級な印象を残す配色、美しいロゴタイプで構成された秀逸な紙袋デザインのひとつであった。






紙袋の種類・つくり
種類 | デザイン | サイズ展開 | つくり | 用途 | 有料/無料 |
|---|---|---|---|---|---|
一般用(百様図) | 百様図と名付けた独自のパターンを、ピーコックグリーンで展開。 | SMLの3サイズ | OF | 一般用途 | 1枚50円 |
一般用 | 白地に筆記体を配置したシンプルなデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | 10号から90号までの9サイズ、その他ワイン用 | MF | 幅広く一般用途 | 10号から50号は10円 |
食料品用 | 百様図を未晒クラフト紙に単色印刷したデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | MとLの2サイズ | MF | 食料品売場で使用 | Mサイズ15円 |
弔事用 | 百様図の丸と四角を抜き出し、グレースケールにしたデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | 4サイズ | MF | 弔事用途に限定して使用 | 1枚10円 |
西日本に軸足を置く店舗網と 地域有力店の強い存在感
百貨店のあらまし
大丸は西日本を地盤とする大手百貨店のひとつ。
大型店舗の中心は西日本で、特に神戸店や京都店は商圏内で大きな集客力とブランドをもっている。 東日本にも出店しており東京店と札幌店がある。北海道から九州までカバーする店舗網は大手百貨店のなかでも大きなアドバンテージになっている。
展開する店舗は、札幌店、東京店、心斎橋店、梅田店、京都店、神戸店、芦屋店、須磨店、下関店、高知店、福岡天神店の11店舗。芦屋店と須磨店は比較的小規模な店舗。心斎橋店が本店格で、施策や営業の中心になることが多い。

創業と急速な近代化に伴う苦境
百貨店の成り立ち
大丸は京都発祥の百貨店。
呉服店として創業したのも、デパートとして近代化したのも京都が始まりだった。
創業は1717年、京都伏見京町北に呉服店を開業した。大丸という商号は創業者の下村彦右衛門正啓の祖父、静軒が家督を継いだ際に東山の大文字焼きから大文字屋としたことが由来。その後丸に大の商号を定めたことから大丸となった。
百貨店としての開店は1912年。近代化を目指した呉服店の流れに乗じて、東京、京都、大阪、名古屋、兵庫の各呉服支店を改装。座売りから陳列販売に転換している。しかしながらこれらの改装により経費が増大。近代化の過程で呉服を減らし流行品などの取り扱いを増やしたことで、経営は苦境に陥った。1914年に大丸は不渡りを出し、東京店や名古屋店は百貨店化のわずか2年後に閉店している。このとき本店を大阪心斎橋に移す。


戦後の成長と苦難 経営改革の成功が高利益百貨店を生む
百貨店の転機
戦後の1954年に東京駅の復興に合わせて八重洲口の鉄道会館ビルに大丸東京店を開店。民衆駅に大資本の百貨店が参画する珍しい例となった。1960年に好景気の波に乗ったことで売上高業界一位を達成。三越を東の横綱になぞらえて、大丸は西の横綱と称された。その後は保守的な政策に転換し、店舗展開を抑えたことで1969年には再び三越の後塵を拝することとなる。
1964年、スーパーマーケットとして千里ニュータウンにピーコックストアを開店。スーパーマーケットに進出。
1970年代に入ると一転、首位奪還を目指し松坂屋と提携。商品力の強化を図った上で、町田、八王子、和歌山、新長田(神戸)と多店舗展開を進める。この時に提携した松坂屋と大丸CBSという共同仕入れ機構を結成し、後に経営統合の動きへつながってゆく。
1983年には社運をかけたプロジェクトとして梅田店を開店。前述の通りこのときにCIが導入された。孔雀のシンボルマークとロゴタイプをデザインしたのが当時ロサンゼルスで活動していたデザイナー井上淳である。百貨店業界の仕事が多く、大丸のほかにも北海道の丸井今井百貨店、九州の山形屋のCIデザインを手掛けている。
梅田店については当時から懸念されていたオーバーストアに苦しむ。大阪駅南側には阪急百貨店と阪神百貨店の本店が構えており、すでに激戦区であったことから差別化が難しかった。結局初年度から計画売上には届かず多額の有利子負債を抱えたが、このことが大丸の経営改革や近代化の契機となる。
1990年にクオリティーアップ元年、株式会社設立70周年として紙袋と包装紙を現在のデザインにリニューアル。
1990年代から大丸は事業改革に乗り出し、売り場パターンごとの業務改善や職制の改善を進める。70年代に多店舗展開したうち不採算店舗から整理を進めた。
その改革が功を奏したのが2003年に開店した札幌店である。45000平米の売り場面積に対して通常の3分の2の従業員で営業することができた。これをモデルに最少人数で運営し、前方業務と後方業務を明確に分けることで店舗の効率化に成功した大丸はこのあと高い利益率で推移することとなる。


「脱百貨店」を掲げた西の横綱
百貨店の現在地
2007年には提携関係にあった松坂屋と経営統合を実施、Jフロントリテイリングとなった。2000年代前半に低利益体質が続いていた松坂屋を救済するような形での統合になっている。統合後の経営は大丸が主導権を持つ形となり、パルコの子会社化、松坂屋銀座店の閉店とGINZA SIXの開業などでSC事業やデベロッパー事業の割合を大きく伸ばした。この脱百貨店とも言える革新経営が百貨店業界に新機軸を打ち出すことはできるだろうか。
ガイド
● 共同仕入れ機構
複数の百貨店が集まり、共同で商品を仕入れることで有利な取引条件やスケールメリットを働かせるための団体。仕入れだけでなく包装紙の統一、配送の規格化、海外ブランドの販売権や地方百貨店の系列化にも使われた。往年には多くの百貨店が共同仕入れ機構を立ち上げたが、現存するのは高島屋が幹事となるハイランドグループのみ。
● 定借化
百貨店が直営で運営していた売り場をテナントに貸し出すこと。定期借地化の略、テナント化ともいう。売り場の管理、設営、販売員、商品供給などはすべてテナントが行い、百貨店は賃料を得る。直営売り場がなく、すべて定借化した商業施設は百貨店ではなく、ショッピングセンターまたはファッションビルとなる。









