
松坂屋
MATSUZAKAYA
- 企業
- 大丸松坂屋(Jフロントリテイリング)
- 本店
- 名古屋店、名古屋市、愛知県
- 店舗数
- 4
- 百貨店の開店
- 1907年(名古屋店開店、創業は1611年)
- デザイナー
- 三澤遥、2025年
大丸松坂屋で統一されたイメージ。 共通しながら変化するパターンは 大丸と松坂屋の豊かな協奏を表現する。
紙袋
2025年に松坂屋は同グループの大丸とともに紙袋のリニューアルを行った。
「百様図」と名付けられたオリジナルのパターンを展開し、大丸と松坂屋の2つののれんを統一したイメージでブランディングしている。
グリッド状に穴が開いた厚紙を重ねて作られたパターンは、位置をずらすことで無限のパターンを描くことができる。パターンが変化しても印象は変わらない、これが百様図の名前の由来となっている。松坂屋は四角を基調としたパターンになっており、丸を基調とした大丸とは変化を見せつつも印象は統一されている。大丸と同様、リニューアルに際して紙袋のつくりも変わっており、一般用紙袋はOFを標準とし、アクリル紐を用いる豪華なものとなっている。ロゴも紙袋の内側に印刷する伊勢丹とほぼ同じつくりである。


大丸と同様に、紙袋の使用用途も同時に見直されている。百様図の紙袋とは別に一般用紙袋として、新たな統一デザインも制作された。
MFに松坂屋と大丸の筆記体をそれぞれの面に記載したデザインで、百様図と比較するとシンプルなデザイン。百様図のコストが高いことから、菓子などの低単価の売り場での使用や百様図以外のサイズ展開を想定したものであることがわかる。
なお筆記体のデザインは旧デザインの包装紙でマイケルシュワブがデザインした松坂屋の筆記体が使用されており、大丸もそのデザインに合わせて制作されている。マチにはおなじみのカトレヤの花が描かれるなど、大丸松坂屋の共通仕様でありながら、松坂屋の色が随所にみられる。


旧デザインは米国のデザイナー、マイケル・シュワブによるもの。。
ボールドなアウトラインとカトレヤの唇弁にかけられたオレンジのグラデーションがアクセントとなり、全体を引き締まったものにしている。
松坂屋のロゴタイプはウェイトが太い斜体であるが、袋文字にしており重い印象は感じない。
底面に番号がついており、サイズや種類を示しているものと思われるが、サイズと番号の大小関係が合わず規則性は不明。

旧デザインの紙袋が制作されたのは2002年。
歴代の紙袋は包装紙と共におよそ10年ごとにデザイン変更が加えられているが、このデザインについては20年以上にわたって長く定着した。
前作が線の細い図案であったことから、現行デザインはかなりはっきりとしたコントラストのあるデザインになっている。
包装紙は繊細な筆記体に紙袋と同様のカトレヤが薄く描かれている。制作は紙袋と同氏。紙袋は青基調に対し、包装紙は赤がよく目立つ。ロゴタイプもコーポレートカラーの使い方も紙袋とは異なっており、違う表情を見せている。




紙袋の種類・つくり
種類 | デザイン | サイズ展開 | つくり | 用途 | 有料/無料 |
|---|---|---|---|---|---|
一般用(百様図) | 百様図と名付けた独自のパターンを、コーポレートカラーの青で展開。 | SMLの3サイズ | OF | 一般用途 | 1枚50円 |
一般用 | 白地に筆記体を配置したシンプルなデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | 10号から90号までの9サイズ、その他ワイン用 | MF | 幅広く一般用途 | 10号から50号は10円 |
食料品用 | 百様図を未晒クラフト紙に単色印刷したデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | MとLの2サイズ | MF | 食料品売場で使用 | Mサイズ15円 |
弔事用 | 百様図の丸と四角を抜き出し、グレースケールにしたデザイン。大丸松坂屋で共通仕様。 | 4サイズ | MF | 弔事用途に限定して使用 | 1枚10円 |
名古屋で愛される最も歴史の長い百貨店。
百貨店のあらまし
松坂屋は呉服店の創業から数えて国内で最も長い歴史をもつ百貨店である。
創業地の名古屋をはじめとした東海地方で特に強いブランドイメージを誇り、名古屋店は売上高、売り場面積ともに大丸松坂屋で最大。外商のステータス性も高く、売上の半分近くを稼いでいる。
展開する店舗は、名古屋店、上野店、静岡店、高槻店のフルライン百貨店4店舗。
高槻店は大丸京都店の支店扱いで比較的小規模。
上野店は松坂屋の名前の由来ともなった歴史ある店舗で、1768年に買収してから250年以上にわたって同じ場所で店を構え続けている。

新進気鋭の創業、生活と文化を結ぶ松坂屋。
百貨店の成り立ち
松坂屋の創業は1611年、名古屋本町に呉服問屋「いとう呉服店」として創業した。関ヶ原の戦いから11年後のことである。
1768年には江戸に進出。上野広小路にあった呉服店「松坂屋」を買収。「いとう松坂屋」として営業を始めた。これは「松坂屋」が江戸ですでに有名であったことから屋号を残したものである。


1907年4月に上野店が新装開店し、陳列式販売を開始。ショーウィンドーを設置して雑貨品や家庭用品などの取り扱いも始めた。またこのとき日本で初めての女性店員を採用している。これらの業態から本稿では松坂屋の百貨店初開店を1907年としている。
1910年3月1日に名古屋栄町にいとう呉服店が百貨店として開店、本格的な百貨店営業を始める(当時は松坂屋の呼称が全店で統一されていなかった)。
1911年にいとう呉服店少年音楽隊が結成、現在の東京フィルハーモニー交響楽団。
オリジナル商品の開発も進め、いとうの名前を冠した歯磨き粉や化粧水が発売されている。現在のプライベートブランドのさきがけである。
1924年に銀座店が開店、日本初の土足入場が行われる。客は入り口で靴を脱ぐ必要がなくなり、百貨店の大衆化が進んでゆく。
1930年には地下鉄銀座線の延伸に合わせて上野広小路駅と松坂屋上野店が直結。日本初の地下鉄直結となったが、これは工期によるもので、実際は1926年に三越が直結する地下鉄駅の建設構想を東京地下鉄道へ伝えている(後の三越前駅)。
1936年、名古屋店の北館増築に合わせて地下に東西名物街と題した食品売場を設置した。諸説あるもののこれをもって日本初のデパ地下とする見方がある。
このように松坂屋は百貨店化から戦前は日本初の取り組みが非常に多い。いかに積極的な経営策をとり、新進気鋭な気質であったかをうかがうことができる。


大丸との提携と経営の混乱
百貨店の転機
戦後の松坂屋は戦災復興の混乱期を経て、店舗の拡大や多店舗化に進む。
1923年に開店していた大阪店は市電の廃止と地下鉄計画のとん挫から1966年に天満橋へ移転している。なお、移転前の日本橋3丁目の店舗が現在の高島屋東別館である。
このころスーパーなどの量販店が台頭し、百貨店はスケールメリットを求め共同仕入れ機構の設立が活発となった。西武のJMA、伊勢丹の十一店会、松屋のACOである。これらの動きにあわせて、1970年に大丸と業務提携を始める。共同催事、共同配送や商品開発を行った。後に大丸CBSとよばれ、大丸松坂屋統合の布石となる。

1980年代以降は前述の歴史と比べて停滞期にあたる。
1985年には創業家のお家騒動により経営が混乱。
1990年代後半には不況のあおりをうけて、不採算店舗の閉店や子会社の整理を行っている。他の大手百貨店にくらべて特に営業利益の低い状況であったことから、経営改革の遅れや消費行動の変化に対応できなかったことが指摘されている。
2005年には一部ファンドによる株式の買占めなどが起こる。2006年には松坂屋ホールディングスを設立し、持ち株会社の体制となるが、2007年に大丸と経営統合。Jフロントリテイリングとなる。
大丸との経営統合から「脱百貨店」の道へ
百貨店の現在地
2000年以降、それまでに展開した店舗の多くが閉店した、その数8店舗に及ぶ。
特に歴史ある銀座店は2013年に閉店、建て替え後に再出店も取り沙汰されたが、百貨店は出店せず高価格帯の商業施設GINZA SIXとなっている。脱百貨店ともいわれる大丸松坂屋の革新的な経営姿勢が強く反映されており、既存の松坂屋店舗では同グループPARCOの出店や大幅な定借化が進められている。
かつて新進気鋭な取り組みで一時代を築いた松坂屋は、現代においても新たな百貨店像を打ち出すことができるか。










