
伊勢丹
ISETAN
- 企業
- 三越伊勢丹ホールディングス
- 本店
- 伊勢丹新宿店、新宿、東京都
- 店舗数
- 6
- 百貨店の開店
- 1923年(新宿仮売店の設置)
- デザイナー
- 伊勢丹(非公表)、2014年(ブラックウォッチはブライアン・ウィルトンによるもの)
タータンチェックの 誰もが知る紙袋の代表格
紙袋
伊勢丹の紙袋について知らない人はいないだろう。
それほどこのタータンチェックは圧倒的な認知度とブランド力を誇っている。
緑、赤、黄で構成されたタータンチェックは非常に印象的で心地よいパターン。緑、紺、黒、赤で構成されたブラックウォッチは静かで重厚な印象を放つ。
紙袋としての認知度と豊かなデザイン、百貨店の紙袋といって誰もが思い出す代表格である。


マクミランアンシェント。 ティーンエイジャー向けの セットアップから生まれたチェック柄。
デザインについて
伊勢丹がタータンチェックを使い始めたのは1956年。
当時ティーンエイジャー向けのカジュアル衣料開発に乗り出した伊勢丹はネイビーのブレザーに合わせるスカートにタータンチェックを用いた。このタータンチェックが人気となり紙袋に使用したところ好評で全館に導入されたという経緯。デザインを誰が起こしたものであるかは不明だが、衣料品開発は社内で行っていたことから、タータンチェックも社内で開発されたものであろう。このタータンチェックには「マクミランアンシェント」と名がついている。1968年には「男の新館」、現在のメンズ館開店に合わせてブラックウォッチが制作された。
当時は買上げ品を包装紙で包んで渡すことが一般的であったため紙袋というもの自体が珍しかった。ここにも伊勢丹の先駆性が見て取れる。

また同グループの三越と同じく一般用の紙袋は厚口の晒クラフト紙を用いてOFでつくられ、持ち手はアクリル紐が用いられている。全面にタータンチェックが展開されており、非常に豪華なつくりの紙袋だ。
現在の紙袋は2014年にリニューアルされたもの。
従来のタータンチェックは赤と緑の強さが目立つものであったが、このリニューアルを機に全体の色彩が柔らかいものになり、モダンな印象にまとまっている。また、ブラックウォッチはブライアン・ウィルトンに制作を依頼。こちらはオリジナルのタータンを意識して制作され、従来よりコントラストの低い重厚な印象を与えるものにリニューアルされている。リニューアルされた紙袋はいずれもグッドデザイン賞を受賞しており、百貨店の紙袋としては初。

紙袋の種類・つくり
種類 | デザイン | サイズ展開 | つくり | 用途 | 有料/無料 |
|---|---|---|---|---|---|
一般用 | マクミラン/イセタン | SS, S, M, Lの基本4サイズ、デザイン同様でボトル用などその他サイズ | OF | 幅広く一般用途 | 無料 |
メンズ用 | ブラックウォッチ | 一般用と同じ | 一般用と同じ | メンズ館、メンズ売り場にて使用 | 無料 |
食料品用 | 黒地に三越伊勢丹の欧文ロゴタイプ | 2サイズ | OF | 食料品売場で使用 | 小1枚30円 |
重量物用 | 白地に赤色で伊勢丹のロゴタイプ、マチは赤 | 特大と大の2サイズ | MF | 幅広く一般用途 | 無料 |
弔事用 | 白地に青で伊勢丹のロゴタイプ。マチは青。 | 2サイズ | MF | 弔事用 | 無料 |
特選用 | マクミランまたはブラックウォッチ | 1サイズ | OF | 特選用 | 1枚100円 |




売上高日本一。 百貨店の頂点、新宿伊勢丹。
百貨店のあらまし
日本で最も売上高の大きい百貨店は伊勢丹新宿店である。 その集客力、収益力は群を抜いており、百貨店の頂点といえる存在で紙袋と同様、伊勢丹は首都圏において特に強いブランド性がある。
これは彼らが戦後よりMDに注力し、「ファッションの伊勢丹」という地位を築いてきたことに由来する。 外商だけでなく一般客をも取り込みハレの日の百貨店として成功を収めてきた。

展開する店舗は新宿店、立川店、浦和店、静岡店、新潟店、JR京都伊勢丹の6店舗。このうちJR京都伊勢丹はJR西日本との合弁。いずれもフルラインの百貨店。このほかに羽田空港に小型店や、コスメ専門のイセタンミラーなどのショップを展開している。
東日本を中心とした店舗展開で、西日本への展開は少ない。
大手のなかでも後発。 関東大震災をきっかけに始めた百貨店。
百貨店の成り立ち
伊勢丹の創業は1886年。
小菅丹治が奉公していた伊勢庄呉服店という呉服店からのれん分けし、伊勢屋丹治呉服店を開店したのが始まり。創業地は千代田区外神田1丁目5番地、秋葉原駅より400mの場所。 呉服店時代には宣伝に力をいれており、回転式の広告塔や駅に鏡付きポスターを設置したことで有名。
1910年には百貨店の建設構想をしている。ただこのころの構想は百貨店というより各商品群の店を集めた共同マーケットのような構想であった。このころから百貨店への転換を意識。これには業界全体の動きもあり、実際1919年にはすでに百貨店化していた有力呉服店(三越、白木屋、高島屋、松屋、松坂屋)が五服会という業界団体を結成していた(現在の日本百貨店協会に近い)。
1923年9月、関東大震災が発生、神田店焼失。当時買収していたあまさけ屋という店舗は焼け残り、そこを本拠として営業再開した。
1923年11月、新宿一丁目に新宿仮売店を設置。仮説のものであったが、座売りを廃止しカウンターを設置して呉服以外の洋品、食品、雑貨などを販売した。本稿ではこれを百貨店の営業開始とする。
1924年、焼失した神田店の場所に新店舗を新築。これを機に全館陳列販売とし、文具や食品などの取り扱いを始めた。しかしながら、震災によって郊外化がすすみ、中央線の延伸などによって神田店の経営は芳しくなかった。

1930年から1931年にかけて、新たな出店候補地として新宿への進出を計画。用地買収を進めた。同時期に常盤生命(朝日生命)から日比谷への出店を打診される。一部社員がこれを強く推し進め、伊勢丹から分離する形で日比谷に百貨店美松を出店。
1932年、新宿三丁目のほていや百貨店に隣接する土地を東京市から購入し、建設を開始。隣のほていや百貨店とフロアと建物の高さを合わせた。これが後にほていや百貨店を買収して一体化する際の布石となる。
1933年、伊勢丹新宿店が開店。この時に開店大売出しとして、呉服販売会「染織逸品丹青会」を行った。これが現在の伊勢丹の外商サービス「丹青会」の由来である。新宿店はこの後、1935年にほていやを買収し、8回に渡る増築を経て現在の建物になっている。

海外視察からファッションの伊勢丹へ。 強力なMDは時代を先取りしてきた。
百貨店の転機
戦後、伊勢丹はファッションに注力するようになる。
1951年にトウキョウファッション1951として本格的なファッションショーを開催。
このころから海外の百貨店へ視察を行っている。このころメーシー、ラファイエット、ハロッズ、ギンベル、サックスフィフスアベニューのレポートを作成している。
これが伊勢丹にとって転機となった。
アメリカの視察で近代マーチャンダイズの重要性を理解した伊勢丹は、NRMAバイヤーズマニュアル(全米小売業者協会作成)を翻訳。アメリカにおける販売、販売促進、百貨店理論や経営実務について研究した。これをもとにMDガイドを作成し、日本で初めて近代マーチャンダイズの概念を持ち込んだ。当時の百貨店としては非常に先駆的な取り組みである。
視察では駐車場の重要性や、食料品売場でのセルフサービス販売、高級品と大衆品の差別化、紳士ファッション専門の販売拠点など後の伊勢丹の施策につながるような内容が報告されている。
1957年、ファッションが一般大衆のものになりつつあるなか、従来のオートクチュールやプレタポルテよりも手にしやすい衣料品販売としてカジュアルショップを新設した。それぞれカテゴリごとに個別で販売されていたものをブレザーを中心にして色や素材でトータルコーディネートする売り場を設けた。現在の自主編集売場の誕生である。
1958年にはティーンエイジャー向けの衣料品開発に乗り出す。紺のブレザーを基本にスカートや小物にタータンチェックを使用した。前述のとおりこのタータンチェックがマクミランアンシェントであり、紙袋として展開される。百貨店が紙袋を使用し始めた最初期の例である。
このころに既製服のサイズ体系統一化も進めている。オーダーの採寸データを集計し、SSからLLまでの5サイズを策定。その後の1963年に西武と高島屋を加えた3社で合意をとり、サイズを統一。ミスとミセスを分けて5号から15号までの号数によるサイズ体系を構築した。このサイズ体系は現在も使用されている。

1960年代から伊勢丹は急速に業績を伸ばしてゆく。
1960年に業界初のパーキングタワーを設置、前述の海外視察の成果である。
1961年にスーパーマーケットへ進出、タマ・スーパーレットを開店。後の伊勢丹ストアー、クイーンズ伊勢丹につながる。地方百貨店との間で業務提携を行い、十一会を結成。後のADO(全日本デパートメントストア開発機構)のもととなる組織で、商品券の相互利用や共同仕入れを始めた。
1968年に隣の敷地の新宿丸物百貨店を買収し新築した新館「男の新館」を開店。メンズファッション専門の館で、これも海外視察の大きな成果である。
1970年代半ばにはスーパーの台頭により地方百貨店を中心に経営が厳しくなった。このときから伊勢丹は全国の百貨店の提携化を進めた。1971年に松屋と業務提携、1973年にADOを結成。1972年に静岡の百貨店田中屋を田中屋伊勢丹(伊勢丹静岡店)、福岡の百貨店岩田屋を岩田屋伊勢丹(岩田屋三越)として傘下に収めている。
1975年にCIを導入(双葉のロゴマーク)。ランドー社によるもので、社内や顧客にインタビューを行い、「若々しい伊勢丹を象徴するもので大地から新しい植物が発芽し、新鮮な空気をいっぱい吸って、太陽の光を浴びて育ってゆく姿を現した。」としている。

「解放区」の成功と三越との統合。 百貨店の強化をはかる経営。
百貨店の現在地
1986年には創業100周年を記念してCIをリニューアル。かなり短いスパンでCIを変更している。コンペを実施、戸田正寿が選ばれ、現在のCIとなった。青のコーポレートカラーも併せて策定している。
1994年に新宿店に「解放区」という売り場を設けた。新鋭デザイナーをシーズンごとにキュレーションする売り場は大きな話題となる。伊勢丹のMDと自主編集売場の強さを業界に知らしめた例だ。


2008年に利益率の低迷に苦しんでいた三越を救済する形で三越と経営統合。三越伊勢丹ホールディングスを立ち上げる。三越の全国的な店舗網と双方の強力なブランド力で百貨店業態の強化を図っている。大丸松坂屋などの革新的な経営と比較して、従来の百貨店価値の向上を目指す経営は保守的といえるだろう。
首都圏で圧倒的なブランド力、集客力、収益力を持つ伊勢丹。
伊勢丹のブランド力を地方にも活かすことができるか、この時代に新しい流行を作り続けることができるかが注目される。
ガイド
● MFとOF
紙袋のつくりの種類。MFは大きなロール紙に印刷された後、裁断される。そのため袋の口部分がギザギザとしているのが特徴。OFは口部分を折り返して作られるためギザギザしていない。MFは安価な大量生産向け、OFは少量生産や持ち手の特殊加工などに用いられ高級感がある。
● 共同仕入れ機構
複数の百貨店が集まり、共同で商品を仕入れることで有利な取引条件やスケールメリットを働かせるための団体。仕入れだけでなく包装紙の統一、配送の規格化、海外ブランドの販売権や地方百貨店の系列化にも使われた。往年には多くの百貨店が共同仕入れ機構を立ち上げたが、現存するのは高島屋が幹事となるハイランドグループのみ。
● モータリゼーション
1960年代後半から90年代にかけての急速な自家用車の普及。都心部の百貨店は駐車場の拡大が迫られ、郊外型の百貨店も登場。大規模な駐車場を備えたショッピングモールも台頭してゆく。
● 自主編集売り場
百貨店が直営で自ら商品を編集して販売する売り場。テーマを持った商品展開であったり、複数のカテゴリを組み合わせた商品展開など特徴を持たせて販売する。例えば特定のデザイナーを集めた販売や、スーツやバッグ、ネクタイまで組み合わせてスタイルを提案する販売などがある。90年代に伊勢丹が展開した「解放区」が有名。従来の消化仕入れとは異なり、買取仕入れで百貨店が在庫リスクを負う。








